アラン・シリトー『土曜の夜と日曜の朝』のレビューブログ
こんにちは!無類の小説好き、Aoneko(@blue_cats03)です。今回はアラン・シリトー(Alan Sillitoe)の『土曜の夜と日曜の朝』のあらすじと感想の記事です。
イギリスの作家アラン・シリトー(Alan Sillitoe)の小説「土曜の夜と日曜の朝」を読了。
酒癖悪く、人妻らと遊び、けんかっ早い主人公はなんだかんだ人間味があって憎めない。
「日曜日の朝」に運河のほとりで静かに釣りを楽しむ描写が個人的に好きです。https://t.co/IZ6GQ1T1JJ#英国労働者階級 pic.twitter.com/0bmhzENsST
— Aoneko Lab (@blue_cats03) October 31, 2020
「土曜の夜と日曜の朝」のあらすじ
自転車工場の若い工員アーサー・シートン(主人公)は、父親から上司、政治家に至るまで権力と名が付くものが大嫌いな性格の上、人妻を誘惑し、気に入らないヤツに喧嘩をする破天荒な日々を送ります。
『土曜の夜と日曜の朝』は、 明るい未来が見えるわけではありませんが、絶望的な閉塞感までは感じないリアリティのある日常をうまく表現しております。また、登場人物の描写が等身大で、所々美しい情景描写もあります。労働者階級を労働者側から描いたイギリス最初のブルーカラー青春小説です。
不思議な吸引力のある作品です。
作品の構成:第一部「土曜の夜」と第二部「日曜の朝」
『土曜の夜と日曜の朝』は「土曜の夜」と「日曜の朝」の二部構成になっています。小説の始まりから終わりまでにほぼ1年が経過しています。
混乱と喧騒の「土曜の夜」、倦怠と諦め、悟り、静けさの「日曜の朝」という二部構成も粋で良かったです。「日曜の朝」にひとり川辺で釣り糸を垂れ、静かな休息をしている描写が個人的にとても好きです。
夜と朝の対比は何を意味しているのか?
そのあたりを意識しながら読むと味わい深い小説だと思います。
『土曜の夜と日曜の朝』はアラン・シリトーの自伝小説ではない
著者のアラン・シリトーは、中学二年で学校を終え、すぐにラーレー自転車工場で働きはじめます。同じく『土曜の夜と日曜の朝』の主人公も自転車工場の施盤工で働いているため、主人公のアーサー・シートンをアラン・シリトーの分身と考え、一種の自伝と見なしたくなるのは当然の考えだと思います。一方で、アラン・シリトーは、「Etudes anglaises」という文芸雑誌の記者とのインタビューで以下のように言っており、自伝的要素を否定しています。
たまたま作品の背景が自分の育ったノッテンガムの下町であり、登場人物がノッテンガム方言をしゃべるだけで、雰囲気の類似を除いては自伝的要素はない。
(Etudes anglaises, 1973年1~3月号所載)
『土曜の夜と日曜の朝』の続編『ウィリアム・ポスターズの死』『燃える樹』
『土曜の夜と日曜の朝』を発表して数年後、作者のアラン・シリトーは、27歳になったアーサー・シートンを主人公に続編を書きます。執筆中に主人公の名前を変えて、『ウィリアム・ポスターズの死』を発表します。その後、『燃える樹』へと続く三部作がはじまります。三部作の事実上の第一部が、この『土曜の夜と日曜の朝』なのです。
『土曜の夜と日曜の朝』で学んだこと:環境が人を変える
主人公のアーサー・シートンは狡いところがありますが、その性格は当日のイギリスの労働階級の環境が作ったものだと考えています。そのため、狡くて破天荒な生き方のアーサー・シートンに全く共感できないわけでもないのです。
著者のアラン・シリトーは、1980年代以降のイギリス映画によく出てくる一連の「悪党」ども、「トレインスポッティング」等の、「失業・貧困・犯罪」を描いた映画の主人公たちに一脈通じる要素をこの作品に含めたかったのだと思います。
「土曜の夜と日曜の朝」の映画
『土曜の夜と日曜の朝』は映画でも楽しめます。イギリスの労働者階級生活の生々しいリアリズムを垣間見ることができます。
「土曜の夜と日曜の朝」
今回初鑑賞したカレルライスの本作は傑作を何百回も言いたい程にフリーシネマの大傑作だ。これ程までに英国社会を反映し、英国の階級社会を痛烈に批判した映画はない…この作品を一言で表すなら怒れる若者の全てと言える。更に主演のフィニーの存在感と精神が映画を強化してる pic.twitter.com/cVTU3lVW8r— Jeffrey (@jeafyanagida) February 20, 2018
「土曜の夜と日曜の朝」とバンクシーのノッテンガムの作品の関係性
バンクシー(Banksy)がイギリスのノッテンガムで描いた「自転車のタイヤで遊ぶ少女」は、ノッティンガムを舞台としたアラン・シリトーの『土曜の夜と日曜の朝』へのオマージュという見方があります。アラン・シリトーは、労働階級の子供として生まれ、自動車工場などで働いていたこと、そして、『土曜の夜と日曜の朝』の主人公はノッティンガムの自転車工場で働いていることから、バンクシーがアラン・シリトーに経緯を抱いていたのであれば、筋が通ります。
公式サイト: バンクシーのノッテンガムの作品(自転車のタイヤで遊ぶ少女)
バンクシー(Banksy)がノッテンガムで描いた「自転車のタイヤで遊ぶ少女」の作品は、イクストン・ロード(Ilkeston Road)とローゼイ・アベニュー(Rothesay Avenue)との交差点にあります。アラン・シリトーの『土曜の夜と日曜の朝』へのオマージュとして描かれたのではないかと。https://t.co/vUkhLMTQn5
— Aoneko Lab (@blue_cats03) October 25, 2020