筆者のプロフィール記事に足をはこんでいただき、ありがとうございます!
当サイトの運営者、Aoneko( @blue_cats03)です。
当サイトは、筆者がMBA留学する際に立ち上げました(よく読まれる記事→「3ヶ月でイギリスのMBAに合格した方法」)。
Webサイトを立ち上げた当初は、イギリスの留学に関する情報を発信していくつもりでしたが、ありがたいことに想定していたよりも多くの方に当サイトを読んでいただくようになったため、留学以外のジャンル、例えばビジネスやガジェットの情報も発信していくようになりました。
さて、本記事では、筆者のこれまでの経歴を簡単に紹介させていただきます。
Aonekoの過去
Aonekoのこれまでの歩みを簡潔に紹介します。
Aonekoの過去を紹介していくよ!
幼少期は極貧生活
Aonekoの家は、決して裕福な家庭ではなかったため、幼少期は極貧生活を送っていました。
よく家でもやしとチャルメラを食べていたことを記憶しています。
パック入りのこのチャルメラをよく家で食べていました。
小学校に入っても貧困は続く
小学校に入学しても極貧生活は続きました。
当時流行していた任天堂 64(NINTENDO64 )をプレイしたくてもAonekoの家では購入することができませんでした。
出典:Amazon
写真:当時喉から手が出るほど欲しかった NINTENDO64
そこで、1) 友達を作り、2) 友達の家でNINTENDO64 をプレイするために、小学生の頃はひたすらコミュニケーション能力を磨きました。
コミュニケーション能力を磨いた結果、
Aoneko君は面白いから家に誘おう。
と、友達に誘われるようになっていきました。
ある人からみれば本当に小さなことですが、友達の家で無料でゲームができる喜びは今でも覚えています。
さらには、友達のお母さんがお菓子やジュースも出してくれるのです。
友達の家はマジで神でした。
中学校に入っても貧困は続く
中学校に入学しても極貧生活は続きました。
中学生になると、
このまま何も考えなければ、貧困から脱却できないのでは?
と、思うようになりました。
人生のすべてはカイジが教えてくれた
ちょうど中学生の頃にカイジという漫画に出会いました。
このカイジという漫画に出会い、筆者の人生は変わっていきました。
賭博黙示録カイジ 全13巻 完結コミックセット(ヤングマガジンコミックス)
筆者は、カイジを読んで、どん底から這い上がるための術を学びました。
貧困なのは親のせいなのか?
否、「親のせいにするな、自分の道は自分で切り開け」と思ったのです。
出典:賭博黙示録 カイジ(第61話), 福本 伸行
図:人生の基礎はカイジから学んだ
当時中学生だった筆者は、極貧の環境下で、知識も経験も、頼れる人脈もありませんでした。
しかし、貧困から脱却し、「人生の勝ち」を必ずつかみ取ると、このとき決意したのです。
当時14歳(中学2年)だったと思います。
この環境下で這い上がるために、「いまできること」から行動した
筆者が置かれている環境がどうであろうと、与えられているチャンスが小さかろうと、そこから這い上がるしか方法はありませんでした。
覚悟を決めて、「いまできること」から行動することにしました。
いまできること、それは、勉強をして進学校に進むこと。
中学生の筆者は、この環境下から這い上がるために、進学校に進むことを決意しました。
塾に行くお金はありませんでしたし、私立の進学校には学費の都合上、行けないということはわかっていました。
そのため、公立の進学校一本に絞って、独学で受験勉強をはじめました。
受験に失敗したら浪人生です。大学入学のための浪人生はいますが、高校入学のための浪人生は皆無です。
すごく不安でしたし、正直ビビってました。
担任の先生からは、
併願しないのなら、志望校のレベルを落とした方が良い。
と、アドバイスされました。
先生の意見より利根川の意見を優先した
担任の先生は、あおねこのことを思って、志望校のレベルを落とした方が良いとアドバイスをしてくれました。
しかし、筆者の人生は筆者が決めなければなりません。筆者が受験に失敗しても誰も責任を取ってくれません。自分の人生の責任を取るのは自分しかいないのです。
カイジの作品中に、利根川という悪役が出てきます。
利根川はこう言うのです。
自分の人生の本番はまだ先なんだと…!
「本当のオレ」を使ってないから今はこの程度なんだと…
そう飽きず 言い続け 結局は老い…死ぬっ…!
正直、担任の先生の言葉より、利根川の言葉の方が筆者には刺さりました(先生、ごめんなさい)。
そして、覚悟を決めて、自分の「本気」「本当のオレ」がどこまで通用するかを試してみることにしました。
「失敗しても構わない、俺は自分自信で決断して、熱く生きれてる」とこの時思えました。
筆者が「熱く生きよう」と思えた原体験はここにあります。
このような理由から、筆者は公立の進学校 一本の受験を決意したのです。
高校受験は成功した
カイジをモチベーションに、受験勉強を続け、なんとか志望していた公立の高校に入学することができました。
出典:フリー素材
図:高校のイメージ
高校生活はひたすら部活
高校に入学しても極貧生活は続きました。
ただ、アルバイトをしてお小遣いを稼ぐよりも、この時にしかできないことをしようと思い、体育会系の部活に入りました。
出典:フリー素材
図:高校時代は部活漬けの日々
部活に入ったものの、お金がなかったので、練習試合などの遠征は公共交通を一切使用せずに、一人だけいつもチャリで目的地に向かいました。
部活の仲間からは、「チャリで来た」とよくイジられていました。
そのため、元祖伝説のネタ画像「チャリで来た」の人達になぜだか今でもシンパシーを感じてしまいます。
(「チャリで来た」をご存知ない方はで検索エンジンで「チャリで来た」と調べてください。)
出典:筆者作成
図:遠征先には必ずチャリで来た
高校時代は、床屋に行くお金もなかったので、高校3年間はずっと坊主でした。
修行僧のように、部活だけの生活を送っていました。
出典:筆者作成
図:高校時代は常に坊主頭
高校3年間の床屋代はバリカンの購入費 5,000円だけでした。
バリカンのコストパフォーマンス最強です!
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部活漬けで学力は一気に低下した
体育会系の部活は上下関係が厳しく、辛いことが多くありましたが、とても充実した日々でした。
高校1年から高校3年の夏の引退までは、ひたすら部活をしていました。
その結果、入学当時にあった偏差値は、ガクンと落ちてしまいました。
また、Aonekoの家庭は裕福でなかったため、父に高校卒業したら就職する旨を伝えました。
(急落した今の偏差値では行ける大学もないと思ったため、大学進学は諦めていました。)
父からは、思ってもいなかったことを言われました。
大学には行きなさい
たたそれだけを言って父は部屋を去っていきました。
部活引退からの半年間はひたすら勉強した
進学校に入ったものの部活漬けで偏差値が急落したため、まずは勉強の習慣をつけることからはじめました。
すべての教科は基礎から勉強し直しました。
休みの日は、1日14時間くらい勉強したと思います。
体育会系の部活にて、精神もみっちりと鍛えることができたおかげで、受験勉強はまったく苦ではありませんでした。
E判定からの合格
受験直前まで志望していた大学はE判定でしたが、受験当日ミラクルが起き、合格することができました。
大学時代はいわゆる普通の生活を送っていました。単位を取って、バイトして、バックパッカー等をしていました。
出典:筆者
写真:バックパッカーで訪れたインド
会社員時代
大学卒業後、上場企業の技術職に就きました。
忙しいときは忙しく、休めるときはしっかりと休むことができ、メリハリのある環境でした。
出典:筆者
写真:社会人になってから登頂した富士山
年収700万円から年収0円に!
冒頭に記載したとおり、筆者は社会人の経験を経てから私費でMBA留学をしました。
年収は700万円から0円になり、貯金を切り崩しての生活がはじまりました。
その際、幼少期の極貧生活の経験があるので、節約しながらなんとかやっていけるだろうという根拠のない自信があったのをおぼろげに覚えております。
今後の筆者の活動は、本サイトにて随時更新していきますので、定期的に本サイトを見にきていただけますと幸いです。
Aonekoの由来
管理人は、坂本龍一氏の『青猫のトルソ』という曲がとても好きで、そこから「Aoneko」という名前を使用しています。『青猫のトルソ』は心地よい音色で気持ちが落ち着きます。
ちなみに坂本龍一氏は、Aonekoが通っていた学び舎のOBになります。坂本龍一氏に対して、勝手に一方通行の親近感を感じております。笑
ブログ運営の裏話
本サイトのタイトルは「Aoneko Lab」ですが、「ブルキャ(ブルーキャットの略)」にすることも考えていました。「ブルキャ」の方が言いやすく、読者が覚えやすいのではないかと思い、ブログ名を決める際、かなり悩みました。その裏話も記事にしております。
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